第一章・ふるさとは宇田川
第一章・第二節〜宇田川源流へ〜/初台川
渋谷区宇田川町から神山町、富ヶ谷と辿って来た宇田川は、いったい何処から流れて来ていたのか。
その水源はいくつかあり、渋谷と言う名の通り地形的に谷底へと向かって流れる川が多く存在した。宇田川には大きく分けて5つの川が注いでいる。ひとつは小田急線代々木八幡駅商店街手前で合流する河骨川、他に同じ代々木八幡付近へ注ぐ初台川と隣の代々木上原駅付近からの流れが合流する流れ、さらに中心部の神山町の高台や下流付近の松濤からの流れなどが注いでいる。
河骨川は第二章〜春の小川に逢いたい〜で紹介するので、ここでは他の4つの支流達の水源を辿ってみよう。
初台川。
だがこの呼び方は、地元の人による"通称"である。渋谷区の記録では宇田川・初台支流となっており、実際に宇田川の支流で独自の正式名称を持つのは河骨川だけである。言い換えれば初台支流は単体で名付ける必要もない小さな川だった、と言うことだ。
初台川と宇田川の合流地点は第一章本編最後の、小田急線代々木八幡駅付近である。代々木八幡駅はその名にある通り、代々木八幡神社の存在に由来する。初期鎌倉時代の1212年(建暦2年)に創建され、1950年(昭和25年)にはその敷地内から縄文時代の住居跡が発掘され、復元したものが公開されている。また作家の平岩弓枝さんはこの神社の宮司の娘さんである。小田急線代々木八幡駅は1927年(昭和2年)に小田急線の開通時に造られたが、当初はこの代々木八幡神社の森を伐採し、線路が横切る形で計画されていたと言う。当然この計画は見直しを余儀なくされたが、このあたりで小田急線が大きくカーブしているのはその為である。
山手通り(環状6号線)上から代々木八幡神社を望む。現在首都高速4号線工事中でその実態が非常に掴みづらく、通るたびに景観が変わってしまっているような状態。だがここには不変の代々木八幡神社があるおかげで迷子にはならない
1938年(昭和13年)の同じ風景。丁度Bernie Grundman masteringの前あたりですよ、前田さん!
写真左手は丁度小田急線代々木八幡駅上にあたる、山手通りの陸橋(奥が渋谷方面、手前が中野坂上方面)。写真左手から流れて来た初台川は右手のカーブに沿って山手通りをくぐり、陸橋下の代々木八幡駅付近で蛇行しながら宇田川へ合流する。そのため、小田急線開通時の線路付近の盛り土と掘り下げる工事は大変だったらしい
首都高速4号線の工事により、間もなく消える運命となるであろう古い石段。かつて写真左手から右手へと流れる初台川の岸へと降りるために作られたのだろう
山手通りを横切り、初台坂下の洗車場裏に緑が鬱蒼と茂った直線が存在する。このあと川跡はもう1度山手通りを横切る
.....お、渋谷名物・ハチ公バス"春の小川ルート"。初台川は写真手前右手から左手へと進む。バスが向かうのは川跡と平行する大きな道
京王新線初台駅前から下って来る一方通行の坂道が山手通りと合流する位置に橋の遺構が残されており、写真奥に続く路地の終点となっている
路地に入ってすぐ、小さな初台川最大の遺跡、初台橋が残されている。.....欄干のサイズから、ここがいかに小さな川だったのかが解る
反対側には昭和34年竣工と彫られている。傷みが激しく、もはやいつ撤去されてもおかしくない状況なのかも知れない
暗渠沿いの壁面にはコケが多く、じめじめとした湿地帯であることを再認識させる。この高い壁はおそらくここが川だった頃からあるのだろう
こちらはさらに上流の上初台橋跡地。写真手前、右から左へ丁度マンホールの上を通過するように流れていた初台川。地形は御覧のように谷底で、写真奥に見える木が生い茂っている場所が実はオレの通っていた中学校。実はオレのproduceした女性singerのコンピに収録されている水垣"カエル"雪絵もこの学校の出身。校歌には"嗚呼秀麗の富士近き代々木の森の学び舎に"とある(.....だった筈)。つまりこのあたりは富士山が見渡せる田園地帯だった、と言うことである
初台はその名の通り台地だが(標高39m)、実は太田道灌が代々木八幡神社一帯に築いた築城八ヶ所のうちのひとつで、砦の名称から来ていると言う説がある。また江戸時代のこの付近は農村地帯だが、代々木八幡神社から竪穴式住居跡が発掘されているように、原始時代は海に囲まれた地域であった。それ故に、当時の地層の上に関東ローム層で覆われたこの地に湧き水が多い、と言う考え方が出来る。事実、原宿や代々木あたりでも住宅建設工事の際には貝殻などが多く出土している。つまり、この辺は元々岬や小島だったのだろう。原宿にいたっては地下鉄千代田線・明治神宮前駅工事中にナウマン象の骨が発掘されている
路地は途中でマンションなどで遮られるが、建物の先にはまだ水路の遺構が多く残されている
暗渠が始まる位置付近。写真手前の足元を良く見て欲しい
逆アングル。何か字が彫ってあるのがわかるだろうか
右から左へ"田端橋"と彫られている。実はこれはここに掛けられていた橋の欄干なのである。普通に歩いていると全く気付かない単なる石段だが、撤去/補修する際に担当した人物が地面に埋め込んだのだろう。それにしても"粋な"ことをしてくれるね
田端橋と同じ位置には細い側溝になんと湧き水のようなものが流れている。セリが生えているが、セリは澄んだ奇麗な水のあるところにしか生息しない。.....つまり、これは奇麗な水だと言うこと
もしやこれが宇田川の水.....?
.....舐めてみたりした。決して「オエッ!」とはならなかったよ
暗渠は田端橋跡のやや上の民家密集地で終わっている。つまり、このあたりに水源があると言うこと
暗渠は甲州街道の幡代交差点(本町1丁目)から山手通りへの近道となる坂の裏手を通っている。ハチ公バスが走るのはこちら
坂を登りきる直前にある大きな窪地。この右手から暗渠が坂下に向かって続き、おそらくこの近辺が初台川の水源地と思われる。左手の高台にある緑地は実は旧玉川上水路、その左は甲州街道である。初台川の水源は玉川上水の分水との説もあるが、玉川上水の記録にはない
このように、窪地には既に住宅が建っており、水源を特定することは出来ない。が、このあたりの何処かから現在も湧き水があることは確かなのだ
頂上の玉川上水暗渠の遊歩道にはモニュメントがあり、豊かな水をたたえていた。ホッと一息
1947年(昭和22年)の航空写真に見る初台川付近。写真左上から右下にかけて緩やかな下り坂となる初台坂沿いを流れ、宇田川へと合流する
初台川は旧玉川上水路のある甲州街道脇、つまり初台台地のほぼてっぺんから一直線に山手通りへと下り、山手通りを一旦横切った後に右へカーブして戻り、再び山手通りをくぐって小田急線代々木八幡駅付近で宇田川本流に注いでいた。前述のようにオレはこの付近の中学校に3年間通っており、この暗渠も何度となく通った道である。.....が、恥ずかしながら初台橋にも足元の田端橋の存在にもまるで気付いていなかった。「川ってのは下町の方にあるもの」と言う先入観だろうか。.....きっと1978年(昭和53年)のあの日、オレは同級生のY子ちゃんの手を引いて初台橋を"避けて"歩いてたんだろうな。いや、はしゃいで走り幅跳びみたいに飛び越えたかな.....バカ(恥)。
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