2008/11/15 up

9月某日@渋谷
ロケ5日目、集合は正午に渋谷駅前。平日だというのにモノ凄い人混み。
「加瀬さん、スクランブル交差点の真ん中に立って下さい。まず周囲の人々が動いてる中でひとり立ち尽くしてる、という絵を撮ります」
.....それってアーティストのP.V.みたいな発想だな.....ま、実はno river, no lifeでも似たようなことやってるんだけど。
.....が、コレが意外にタイヘンだった。
とりあえず、信号が青になった瞬間にダッシュ、交差点の真ん中で立ち止まり、クルッと振り返ってカメラの方を見た瞬間、周りは既に通行人だらけ、オレからカメラは全然見えないし、通行人はオレを邪魔にするし。連続で5〜6回やって、果たしてちゃんと撮れてるのか本人は解らず終い、でもI端さんは「大丈夫、バッチリ!」。
「じゃ、とりあえず稲荷橋へ行きましょう。そこから、加瀬さんは暗渠沿いに自分の故郷へ帰って下さい」
「.....ただ歩けばいいの?」
「no river, no lifeでいいんですよ。例えば、東横デパートの地下がないとか、西武のA館B館の間が宇田川だ、とかを、皆に教えて下さい」
.....へえ、S水氏、作戦変えて来たな。"心の旅"か。なんだかピンと来ないけど、じゃあオレはno river, no life/第一章・第一節をやればいいワケね。
稲荷橋。
そこは渋谷川の開渠スタート地点であり、逆に言えば暗渠開始地点でもある。あまりの水量の少なさに、多くの人(かつてのオレも含め)が"渋谷の繁華街の大きな排水溝"としか思ってない場所。また、ここは渋谷の象徴・忠犬ハチ公が最期の瞬間を迎えた場所でもある。地上3階を走る銀座線はオレが始めて眼にした地下鉄、そして出来たばかりの副都心線。取り壊された東急文化会館、そして前述の"川の上に建つデパート"、東急東横店東館。ここにはかつて宮益橋があり、宮下公園の下では宇田川の合流、上流の隠田川/現・キャット・ストリート沿いにはオレの通った幼稚園.....渋谷のこと

渋谷幼稚園はキャットストリート
を喋れと言ったらいくらでも出て来る。よってず〜っと喋りっぱなし!。特に今は練兵場〜ワシントンハイツ〜代々木公園、なんていう、以前知らなかったこともいっぱい知っちゃったから。
カメラは前へ回ったり追いかけたり並走したり。人混みだらけの渋谷ではなかなかタイヘン。が、逆に渋谷はTVカメラが回っていてもさほど周りが気にしない、ある意味クールな街。
「皆、この下が川だって知らないんでしょうね」
そうです。このオレも39年間暮らしてて知らなかったんだから。
徐々に人気がなくなって来て、宇田川遊歩道へと突入。ここはオレが住んでた頃とは別の暗渠遊歩道になった。
「今は"宇田川遊歩道"って書いてあるけど、その頃はとにかく隠してた。それが、今になって『ここに川がありました』って言い始めてる」
矛盾。オレが一番闘ってるもの。そこが汚れて異臭を放つ危険なドブ川だということを必死に隠し、その結果オレはそれを知らずに安全に育ち、そして知った今、苦しんでいる。
オレは番組のコンセプトもクソもなく、ただ思いつくままに喋っていた。

no river, no life ファンの方にはお馴染み(笑)、オレの生家前
「.....ただいま!」
渋谷区神山町2番地、オレの生家前に到着。今は東京に住む地方出身のマネPが「渋谷にも人が住める所があるんですね〜」と驚いた場所。
「ここにすべり台があって、砂場があった。ここがシンちゃんの家、こっちがメグちゃんの家」
.....そんなこと言われても、誰にも解りゃしない。これが「ここからここまでの幅の川が流れてました」とでも言えればいいんだろうけど、オリンピック・ベイビーのオレはその時代を知らない。だから、暗渠を辿る。
「ホントにNHKの眼の前なんですね」
「うん。同じ'64年製(笑)だから、小さな頃から大きな建物見てもあんまり感動しなかった。逆に、地方へ出かけて行って大きな山や川を見ると今でもビビる(笑)」
NHK、国立代々木体育館、渋谷区役所や渋谷公会堂(現・C.C.Lemonホール)などが皆同い歳で、いわば幼馴染みみたいなもの。物心ついた頃から代々木公園や母校の小学校があったために、この40年間渋谷の景色は大きく変わらない。おかげで、遊具がなくなってもこの遊歩道の印象は変わらないのと、4度の引越が小さな範囲内なおかげで、懐かしさも感じないくらい身近。
「ウチの隣が魚屋さんで、あそこの交差点が桜橋っていう橋だったんだって。で、反対側は立石橋。.....そうだ、立石橋のとこで撮った、1歳の頃の写真がありますよ」
古い写真を片手に、43年後に同じ位置で同じポーズ(右手と右足が同時に前へ!)。確かに歳取ったなあ。
.....なんか今日は、TVで良く見る、芸能人が自分の故郷を訪ねるあの感じ。自分もそういうキャリア(歳取った、ってこと)なんだな、と複雑な想い。
「ここから河骨川、つまり8歳の時に引越した先はすぐ?」
「うん、河骨川はこの宇田川の上流だから、歩いて10分ちょいで着きますよ」
「じゃあ、今度はそこへ行きましょう」
一同、宇田川遊歩道を進み、河骨川合流地点へ。これが"春の小川"の舞台となった川。

"生まれの"宇田川から"育ての"河骨川へ
「こんなに小さいんだ.....」
皆、実際に見るとその幅の狭さと存在の小ささに驚く。何より、昔オレ自身がさんざん歩いてて全く気付かなかった、単なる地元民の生活道路でしかない道。ただ、今はあちこちに"春の小川・この通り"の看板が眼につく。忘れられかけた、隠された春の小川をもう一度皆に知らしめるには、あまりにも変わり果てた姿。
小田急線の線路沿いに出て、ほどなく"春の小川記念碑"に到着。
高野辰之先生のオリジナルの歌詞、高野親子が小川の岸で微笑む風景、そしてそれらが刻まれた黒い石碑。
.....オレには、コイツが春の小川の"墓"に見えるんだ。
カメラはずっと回っている。S水氏初めスタッフは、誰もオレに話しかけない。シンとした空間に、時々通りかかる小田急線が線路を揺らす音だけが響く。
「知らなかった。そして、何も出来なかった。ほんの数十年前まで、ここにサラサラと水が流れ、岸にすみれや蓮華が咲き、エビや小鮒の群れが泳いでいたなんて。20年も暮らしていて、オレが知ってるこの場所はゴミ収集場でしかない」
声がうわずっていることは気付いていた。カメラが回っていることも忘れていない。
が、押さえられなかった。
「46億歳の地球、1万歳の人間。.....たった数十年の間に、オレ達はなんてことをしてしまったんだろう。.....春の小川に逢いたかった」
もう涙で声にならなかった。どうにかひねり出した言葉は
「川に謝りたい」
それだけだった。
「今日はここまでにしましょう」
S水ディレクターの声が聞こえた。いったいどれくらい時間が経ったのか解らない。
「.....ごめんなさい」
「いえいえ、とんでもないです」
この時点で、オレには熱中人の資格はネエな、と思っていた。TVの前の人をワクワクさせるような、楽しませることはオレには出来ないだろうと思った。
記念碑の側のカフェで休憩後、現地解散。I端氏とK原氏とのロケはこれで終了、残りのロケはまたK平氏とF村氏のコンビがメインとなる。
「本当にありがとうございました。お恥ずかしい」
笑って見送ってくれたふたりとも、とてもプロフェッショナルで良い人だった。
オレは"春の小川"を口ずさみながら、再び真っ暗になった河骨川暗渠をひとり歩いた。
予定では、まだ数回のロケが残されている。

"心の旅"から数日後、S水ディレクターからメール。
「加瀬さん、明日僕と一緒に渋谷区役所に行って下さい」
.....区役所?、何しに?。
「渋谷川暗渠の中へ入る許可を取りに行くんです」
..........は!?

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