2008/11/15 up
9月某日@杉並区立郷土博物館〜桃園川下流
ロケ4日目。
午前10時、現地である杉並区立郷土博物館前に集合。今回のロケはカメラがベテラン/貫禄バリバリのI端氏、音声は株式会社"だだだ"のK原氏。....."だだだ"って(笑)。
この日は午前中に杉並区内の某小学校の社会科見学があり、まさに真っ最中。「い〜な〜。オレも説明聞きたいな〜」モードのオレはマネPに引っ張られ、2階フロアに上がってワイアレス・マイクの準備。
.....お、H野女史、前回スッピン+ジーンズだったのに(一応言っときますが、とてもチャーミングな方です!)、今日はスーツだ!。S水氏に「今日はオシャレしてるよ」と耳打ち、S水氏もそれなら、と悪巧みの笑顔(爆)。
「じゃあ始めましょう。加瀬さん廊下歩いて来て資料室のドアをノック、H野さん、出迎えて下さい」
「は?、私がですか!?」
「ええ。お願いします」
アッハッハ。さすがTVのディレクター!。緊張しつつも的確にオレからの質問に答えてくれるH野女史。あとで何かお礼しなきゃ、ね。
フムフム.....実際一度下見してるし、これは!ってものは見つからず、いくつかS水氏と、
「コレなんかどう?」
「今そこ行って、同じ場所って解りますかね?」
「う〜ん、微妙.....」
を繰り返す。

大活躍(爆)のH野女史
「H野さん(名指し/爆)、他に何かありません?」
.....すると、倉庫の奥(当然ですが一般観覧者は立ち入ることすら不可)から保管写真だけではなく、水道/下水道の工事概要や記録まで出て来る出て来る。初めて見る、桃園川暗渠工事中の記録.....いやはやこりゃ凄エ。更に杉並区の広報紙"すぎなみ"の夥しい数のバック・ナンバーまで。しばし物色に没頭。
「.....ん?」
その"すぎなみ"の昭和62年のバック・ナンバーの中に、見覚えのある桃園川の写真の載ったコラムがあった。
大正9年の桃園川の姿。そして、それを昭和62年当時、とある老婦人による「大正9年に高円寺にお嫁に来た/右上に氷川神社が写ってるこの写真が家のすぐ前」という記事。当然、大正9年の写真は川と木と空、そして氷川神社"らしき"建物が写り、昭和62年のものは暗渠化された緑道と周囲の家。氷川神社はとうに建物で見えない。が、右手の高台に氷川神社がある桃園川緑道のポイントなら、特定出来る。
「.....ここへ、21年後の今、行って見ましょうか」
それは面白い、ってことになって現地へ向かうことに。
「そこって、ここから近いですか?」
「そうでもないかな。歩いたら20分くらい。一旦ロケ車ごと移動した方がイイかも」
「じゃあそうしましょう」
とりあえず一旦撤収することになり、その前に館内を観てまわるオレの撮影。
1階の展示パネルに暗渠化前の写真があり、ひっくり返すとそれぞれ現代の同じアングルの写真が出て来る、というカラクリ。当然ながら全部知ってた(site"すぎなみ学倶楽部"使用写真)けど、あらためて見比べて溜息。
「これが現実なんです.....」
それが意図的にしろそうでないにしろ、当然その変わり様が激しいものばかりが選ばれている。この比較を発展と見るか残酷と見るか。当然世代によって変わって来るのだろう。on airで使用されたのは井草川の暗渠化前と現在の遊歩道化された写真、小川で遊ぶ子供達を羨ましいと捉えるか、蓋をして遊歩道化された安全性を良しとするか.....。
社会科見学の子供達が、自由時間に昔の杉並のジオラマに群がっている。が、とりあえずそこが自分達の町、という実感はないらしいことが彼等の会話で解る。
「ほら、これが青梅街道、こっちが阿佐ヶ谷でこっちが環七の方だよ」
というと
「ええ〜!ウッソ〜!!」
と大騒ぎに。ま、ピンと来ないのも無理はないケド。
とりあえずT筑次長と大活躍(笑)のH野さんにお礼を言い、「じゃ、ここへ行って来ます!」。結局on airに彼等が登場することはなかったけど、ロケ終わったらあらためてゆっくり話しに来ようっと。
とりあえず2日目と同じJR高円寺駅南口のパーキングへ。
「ここで食事にしちゃいましょう」とS水氏。どうもこのロケ中、良く食ってるな.....。
今日は北口ロータリー正面、"珈琲貴族"へご案内。.....昼メシ食うのに喫茶店かよって?、イイんです。
「ま、とりあえずオレが3日に1回くらいは食ってる超オススメが"ドライオム"(ドライカレーの入ったオムライス)、これは1回食わなきゃ死ねない」
「じ、じゃ、それで」

これが名物、ドライオムだ!
全員半ば強制的にドライオム。.....辛いモノ苦手なオレがドライカレーって時点で不思議でしょ?、でもこのメニュー、そんなことどうでも良くなるウマさ!。
「おお、ホントにウマイ!!」
全員納得&絶賛。ちなみにパスタも激ウマ、老舗"麦の家"なき後、北口付近でお食事の際には是非。多分オレに逢えます(爆)。
食後、広報"すぎなみ"の記事を手に現地を探す.....と言っても、既に想像はついていたので、一旦環七から高円寺橋を経て桃園川緑道へ入り、すぐに到着。
.....昭和62年当時と建っているマンションや家は違うけど、ほぼ同じロケーション。更に、大正9年の写真では手前左に曲がっている桃園川、改修を受けた際に真っすぐにされ、その分だけ左岸だった敷地が昭和62年も現在も空いていることが判明。
「このすぐ右手に宿鳳山高円寺、そして右手奥に氷川神社がある。でも、もちろん見えない。高度経済成長後、この景色は逆に近代化の中で原型を保っているんだ」
妙な気分。もし宅地化が"進化"なら、もう20年以上進化がない、ってこと。駅があって商店街があって、大きな通りがあって遊歩道があって、そして家がある。で、川はいらない。
「今この景色を見て、どうですか?」
「.....う〜ん、勝手だなあ、みたいな」
.....ダメだコリャ。どうも上手く行かない。
「ついで、と言っちゃなんだけど、この先に既にno river, no lifeでオーバー・ラップやってる、桃園川が大正13年の時と同じ曲がり方してる場所があるんだけど.....行ってみます?」
「是非行きましょう!」
環七を渡り、周囲の支流/用水路暗渠を紹介しながら下流方向へ。途中、杖をつきながらゆっくり歩く老婦人をオーバー・テイク。ふと、さっきの写真を思い出した。きっと、大正9年にお嫁に来たのなら、その方はもういらっしゃらないんだろうな.....。
ほどなく、現地到着。site上では前年の関東大震災で崩壊した桃園川を修繕している人と同じ位置に立っている現代のオレとの比較を行っているが、当然ながらここも周囲の景色は見る影もなく、本当に流路の曲がる角度が同じ、というだけ。だけどオレの中では「絶対ココ」という確信の場所。
三脚を立て、カメラをセッティング。すると、ほどなくさっきオーバー・テイクした老婦人がゆっくりと現場に差し掛かって来た。
「.....あの、すみません」
「ハイハイ?」
オレは手に持っていた、大正13年のこの場所の写真を差し出した。
「これって、何処だか解りますか?」
「ああ、ここだわねえ」
チラッと背後を気にした。全員、さすがプロだ。既にオレ達を撮影し始めていた。
「この川もねえ、洪水が多くてねえ。大変だったわよねえ」
「.....そうなんですか。じゃあ今、こうして緑道になって、良かった.....んですよね?」
「そうねえ。時代は変わるからねえ」
「ありがとうございます」
またゆっくりと、御婦人は杖をついて下流方向へ歩き始めた。オレは黙って見送っていたし、カメラもずっとその後ろ姿を追っていた。一瞬、空気が止まっていたようにさえ思う。
「S水さん、ゴメン。なんかオレ、熱中人じゃないよね」
「いえ。熱中人ですよ。とても」
自分自身の感触では、やっぱり街のレポーターみたいになっちゃってるような気がする。これが完全な一般人だったら逆に自然に好きなことに熱中出来るのかも知れないけど、オレ中途半端にパーソナリティだったり物書きだったりするせいか、どうにも"説明"とか"案内"になって、肝心なことが言えてない気がする。
「じゃあこの後、番組のオープニング部分を撮ります。歩き回ってる加瀬さんがいて、『何してるんですか?』と聞いたら『暗渠を探してるんです』っていう感じの」
ああ、なるほど。こりゃ大事なことだ。

挙動不審者をカメラが追う!(笑)
「じゃ、もうちょっと行くと中野区で、緑道のロケーションもちょっと変わるからそっちがいいかな」
一旦ロケ車に戻り、宮園橋付近へ。この辺りは杉並区内とは緑道の造りが全然違う上に、古い橋が唐突に残ってたりするので探索中の場面には丁度良い筈。
リクエストされたやりとりの撮影はサクッと終了、時間は午後3時、やや日も傾き始め、そろそろロケを切り上げても良い頃。ついでに、付近の学校が下校時間を迎えてしまい、しかも車の入って来ない暗渠沿いはスクール・ゾーンになっていることが多い。
「加瀬さんは、この辺りはもう完璧に見尽くしてるんですか?」
「いや、そうでもないかな。特に中野区内の支流や用水路とかはあまり見てないかも」
「じゃ、探しません?」
S水ディレクター、何か引き出そうと必死で考えてるよう。.....ここまで期待に全然応えられてないし、子供達をかき分けつつ、ウロついてみますか。
前述のように、中野区内の桃園川沿いには多くの学校がある。以前来た時に"桃園第三小学校"だったこの学校、オレの母校と同じく3校統合で"桃花小学校"へと校名が変わっていた。

中野区立桃花小学校前の"かう志んはし"跡
.....ウロつくほどの間もなく、桃園川本流と桃花小学校を結ぶ道、というより学校の門の前に、古い橋が片方だけ建っていた。オレとカメラに群がる子供達は皆、この橋の存在を知っていた。が、「川は何処?」と聞いても「解らない」という答。
.....もしもオレが中学生の時に初台橋で同じことを聞かれても、きっと同じ答だっただろう。"隠された川"、そして"残された遺構"。生まれた年代は違ってもキーワードは同じ、いやこれこそが、1964年以降は同年代だというオレの論理。
「じゃあな。気をつけて帰れよ」
子供達に別れを告げつつ、下校中に金髪グラサンと喋っちゃダメじゃんと思いつつ(爆)、その流れの上流を探して高台へ。
目指すのは橋のあった位置から見て不自然ではない、オレの論理に当てはまる位置にあるべき水源。
.....今地図上の何処にいるのかも良く解らない、なんだか久々の感覚。が、この日は結局排水に使われている古い側溝以外発見出来ず。なんだか、スタッフに申し訳ないような気がする。
「大丈夫ですよ。放送予定は10月後半だけど、11月でもOKらしいですから」
既にロケ4日目、S水氏はとことん熱中する熱中人と確信。
陽が暮れ、一同新宿御苑に移動。bazooka-studio/room1964にてオレが暗渠巡りのあとに撮ったデジカメ写
真を整理したりする場面の撮影。いつものように地図や資料と見比べて写真にタイトルを付けて行き、ついでだからブログをアップ。
.....お気づきの方もいたようなので説明すると、オレon airのこの場面と紹介の演奏シーンだけ黒いTシャツ。これ実は普段もそうで、no river, no lifeなオレは白シャツ、rockなオレは黒シャツ。但し暗渠探索の途中で着替える時は白→白。.....いつの間にか出来ちゃった区別だけど、もはやこだわり。
「加瀬さん、明日は宇田川沿いの、生まれた家へ連れてってくれませんか?」
とS水氏。
「テーマは"心の旅"なんです。子供の頃の写真でも持って、一緒に心の旅をしましょう」
心の旅.....ふーん.....。

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