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9月某日@神田川笹塚支流 |
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いよいよロケ初日。
朝10時、環七泉南交差点集合。.....泉南と言われても、渋谷/杉並区民以外で解る人は.....タクシー・ドライバーでも少ないだろうな。京王線代田橋駅近く、環状七号線と甲州街道の交差点付近。ここが玉川上水新水路跡の水道道路と、神田川笹塚支流のスタート・ポイント。現場に集まったのはこっちがオレ、マネP、取材班はM川プロデューサー、S水ディレクター、それにカメラのK平氏と音声のF村氏。
「暑くてシンドイと思うけど、宜しくお願いします!」
Tシャツの裏にワイアレス・マイクを取り付け、トランスミッターを腰に巻き、いつものリュックとウォーキング・シューズでスタート。当然ながら、スタッフの方が重量は遥かに重い。気温31度/快晴、出来過ぎなほど立派な真夏日。
まず、泉南の路地裏を流れる小さなドブ川を見せる。.....これから先、どんなロケになるか解らないが、実際に見られる"水"はごく僅か。ここからゴールまで、そこにあるのはただの道。
「じゃ、行きますよ」
on airでも使用された神田川笹塚支流・堺橋 |
S字カーブ、車止め、コンクリ護岸、マンホール郡.....。多くの"暗渠の特徴"を使いながら、カメラ脇を並走するS水氏.....いやお茶の間の皆さんに、ここが川跡であることを説明。スタッフは皆「フムフム」といった感じ。
そしてほどなく現れる、堺橋の橋跡。一同「おお〜」.....そう、こういう"解りやすい"アイテムが出て来ないと、暗渠って意外に気付かないモンなんですわ(オレは橋跡見てても42年間気付かなかったケド.....)。
on airを観て頂いた方には解ると思うけど、オレの格好は極めていつも通り。白いTシャツに黒いリュック、ブーツは履かずに慣れたウォーキング・シューズ。手にはデジカメを持ち、やってることも全然いつもと変わらない。それを重いカメラ/音声、それにスペアのテープやバッテリー、三脚なんかを持ってスタッフが追いかけて来たり、先回りしてオレを撮りながら後ろ向きに歩いたり.....。
オレ達の業界だとP.V.(音楽プロモーション・ビデオね)撮影で同じようなことをやる
けど、もちろんこんなに歩き通し、ってパターンはない。'07年は5本のP.V.をプロデュースした。自転車に乗って走りながら歌うシーンを撮った時はシンドかったけど、それでもせいぜい1時間、ってとこ。ところがこのロケはとにかく歩いてる。オレが何か見つけたり気にして止まったりしない限り、とにかく歩いてる。よって、彼等もひたすら追いかけて来るしかナイんである。
「.....大丈夫?」
路地から路地へと進むナゾの集団 |
まだ2時間、汗ひとつかかないオレに対し、スタッフ全員汗ダク。年長者のM川氏は既にキツそうに見える。そして神田川笹塚支流・牛窪/中野通りには丁度良いタイミングでデニーズがあるのだった。マネPに相談、全員の顔色を見る。
「お昼にしましょっか!」
まだ行程1/5程度、普段のオレのペースで進んじゃうとこりゃタイヘンだ、と実感。S水氏がオレの体力的/集中力的なところに感心するのも納得。で、オレ暑いの大好き。普段ならもちろんこのまま進んでた。
全員やや軽めのランチ。皆、水分摂取量がハンパじゃない。無理もないか.....。が、実は過剰な水分摂取は後々つらくなり、かと言って全然取らないのは脱水症状を引き起こしかねないのでもっとダメ、結局のところ適度.....その適度ってのが難しい。幸いなのは皆さん軽めでも残さずしっかりと食べたこと。暑くて水分ばかり取ると当然食欲もなくなるが、先のこと考えたらここで食べておかなきゃ。 |
1時間ほどのランチ休憩後、探索再開。丁度ここで、神田川笹塚支流の北側流路唯一の川跡らしい遺構、神橋を尋ねるために北側支流へ。
4本の支柱、朱色の彫文字跡、昭和四年竣工の文字。「撤去の予算が出ない」を理由に、今も変わらずそこに残されている、小さいが威厳のあるこの遺構に、全員溜息。
.....と、ここで、普段ならオレひとり(当然金髪/サングラス)なので誰も見向きもしないが、カメラマン+音声マイク軍団、となると「何?何?どしたの??」とギャラリーの皆さんがお集りになる。自転車に乗った御婦人登場。
「あの、もしやこの辺りに長くお住まいでらっしゃいます?」
「え?、ええ.....もう40年くらいかしら?」
.....チャ〜ンス。
「ここに小さな川が流れてた頃のこと、ご存知ですか?」
「ああ、あったわねえ」
スタッフと機材の向きが一斉に御婦人の方へ!。
「え!ちょ、ちょっと、何!?」
カメラはまだしも、どうも皆さん頭上に翳される音声マイクに驚かれるよう。音声担当F村氏がカメラのK平氏にひとこと「あ〜あ、カメラマンはいいよなー。煙たがられないし、オレより荷物軽いし」.....実はこのふたり、大の仲良し。ロケ中ず〜っと楽しい時間を演出してくれた。
そしてひととおり情報収集が終わりお礼を言うと決まって聞かれる言葉、
「ね、何処のTV局?」
「NHKです」
「あんら〜!!」
それと、
「どうでもいいけど、ドブ川よ?」
.....ま、こんなことを何度も繰り返しつつ、我々は進んで行くんである。 |
南側支流へ戻り、中幡小学校前の合流地点取材中、学校の下校時間とバッティング。あっという間に子供達に取り囲まれる。スタッフの皆さんは正直困ってる。が、暗渠辿ってるだけの自分は気楽なもの。
「なあなあみんな、この遊歩道の下ってどうなってるか知ってる?」
「知らな〜い」
ひとりが、
「川だよ、川。でも、ずっと前に埋めちゃったって」
.....ね。こうやって歴史の中に埋もれて行くんだ。オレもそう思ってたんだから。
「実はね、川は下水になって、まだこの下を流れてるんだよ」
「ウソ〜!?」
彼等の興味を思いっきり引き出してしまったオレは、次の本町小学校まで子供達をゾロゾロと引き連れて歩くことになってしまった.....M川さん、申し訳ナイ。
地蔵橋では酒呑地蔵の話、清水橋では二軒家町会の国旗掲揚ポールの話.....なんだか一歩間違うと観光案内みたいな役割。
ひとり元気な暗渠熱中人 |
山手通りを渡り、都営大江戸線の西新宿五丁目駅前から、ここまでよりも更に"レトロな"暗渠地域へと突入。遊具やグリーンベルト、そして路面までもがほぼ暗渠化当時のまま、そして残された大正時代の橋の遺構。もう実際何度歩いたか解らないが、no
river, no lifeを作ったおかげで橋の名前と竣工年がほぼソラで言える自分にやや驚いた。
「ちょっとドリンク休憩しましょうか」
とS水氏。ゴメンゴメン、完全に自分のペースだった。皆汗だく。
.....このあたり、オレが暮らしてた頃の宇田川暗渠(昭和39〜47年)にとても雰囲気が似てる。だからなのか、皆しゃがんだり腰掛けたりして休んでる間も、オレだけジャングルジム+すべり台でおおはしゃぎ。暗渠化そのものが切ないことなのに、ここが近代遊歩道化されたら.....やっぱオレ泣くんだろうな。 |
徐々に陽が暮れ始めた16時頃、探索再開。
「あなたは〜もう〜忘れたかしら〜♪」の"神田川"のモデルと言われる銭湯"羽衣湯"、そして間近まで迫る西新宿の開発による高層ビル郡。昭和と平成、言わばTV的に"絵になる"ロケーションが続き、そして迎えたゴール地点。神田川本流への合流を、対岸へ渡って見せる。
辿って来た幅の狭い暗渠道に比べ、驚くほど大きな、そして高さのある合流口。もう何度も訪れているのに、やっぱり複雑な気分になる。
その光景を見るオレにS水氏が唐突にインタビューを始める。
「加瀬さん、今ここへ来て、どんな気持ちですか?」
.....オレは素直に答えた。それは、決してTV的に、そして"熱中時間"という、何かに熱中するあまり我を忘れて楽しそうにしている方々を取り上げる番組として、決して
期待通りのものではなかったと思う。
もちろん、演技することは出来た。「いやあ、やっぱ嬉しいですね〜」なんて言えば、楽しいBGMかなんかかかって「加瀬さん、ご満悦!」なんてナレーションが入るだろう。が、オレは合流口に落ちているゴミを見ながら、本当に思った通りのことを発した。それしか出来なかった。 |
食事とドリンク休憩以外、朝10時から歩きっぱなしのロケ、第一回はここで終了。当初の段取り通り、まず初日は"暗渠"というものを解って貰う旅。それが、今どんな姿をしていて、かつてどんな姿だったのか、だけではなく、何故そうなっているのか、そして何故そのままなのか、を、まず彼等に知って欲しかったから。
スタッフの皆と十二社池の下にあるカフェへ。今日のまとめと今後の段取りを確認。ここでスタッフはタクシーでロケ車を置いて来た泉南へ、オレはその足で眼の前にある十二社池跡と神田上水助水路暗渠へ。
あっという間に辺りは暗くなった。 |