2012/01/01 up 
 
 

 
加瀬: 今日はこうして田原さんとじっくりと渋谷の川のお話をする機会を頂いて、凄く楽しみにして来たんですよ。
田原: 私もです。どうぞ宜しくお願いします。
加瀬: 僕はもうサイトでもTVでもラジオでも散々恥を晒してる通り、地名に「山」、「川」、「谷」が全部入ってる「渋谷区神山町・宇田川遊歩道」に生まれ育ちながら、ただ単に「坂が多い街」と言う認識のまま成人し、しかもソイツはあの「春の小川」だった、それも大昔じゃなく自分が生まれる直前までそこを流れてた。しかも埋め立てられたとか消滅したんではなく、今も「暗渠」と言う形で下水道として地下を流れてる。そう言うことをつい最近になってようやく知った、と言うマヌケな経歴なワケですが(笑)。
田原さんにまず聞いてみたいのは、そもそ何ゆえ、川とか暗渠とかに興味を持つようになったんですか?
田原: 元々子供の頃から、砂場では絶対に山と川を作るような、川好きの子供だったんですよ。
加瀬: ああ、わかるわかる!。
田原: 加瀬さんもおそらく同じようなことなさってたんじゃないかな、と思ってましたよ(笑)。で、川跡とか暗渠と言うことになると、小学生の時にたまたま持っていた地図が、どう言うわけか昔の川が消されずに残っているものだったんです。その地図によれば、その後私の通う中学校(鉢山中)の裏には川(三田用水鉢山分水)が流れている。でも行って見ると実際にはない。ただそこには「いかにも川の跡」って言う細い道があって、辿って行くと渋谷川に着き、「大正〜年」と書かれた古い吐け口がある。おお、これはまさに小川の跡じゃないか、と。中学生の頃には他にも同じような川跡があることに気づいて、色々調べていたんです。
そうしたらその中学に全く同じことを考えている友達がいて、情報交換するようになった。やがて近所だけじゃなく離れたところへもその怪しい地図を持って出向いて行くようになったんですが、調べようにも渋谷区の図書にはそう言う情報が書かれたものが全然ない。知りたいことがちっとも書かれていない。なので悶々としてましたね。
加瀬: そうか、まずそもそもそこには渋谷川が存在してたんですよね。僕の生まれ育った近辺はもう全てが暗渠化されてしまっていたので、まず水が流れているところを見る機会がなかった。それ故に遊歩道や細い道を歩いても「本流」に当たらないので、まさか川の跡だとは思いもしませんでしたね。それこそ初台橋跡を避けながら歩いてたのに(笑)。それと、何故か商店兼住宅は車道沿いにあって、サラリーマンの家は遊歩道沿いに建ってるんだと思ってた(笑)。それが経済成長期の住宅事情なんだ、と。だから宇田川遊歩道みたいなものは日本中にあるんだと思ってました。
田原: 渋谷と言う街に元々小さな川がたくさんあった、と言うこと自体は認識していた?。
加瀬: いや、それは本当に成人してから。しかも暗渠と言う発想がなく、埋め立てたとか消滅した、と言う認識でした。少なくとも、自分の家の前の遊歩道が川の上に出来てるとは考えもしませんでしたよ。今みたいに「春の小川記念碑」みたいなものもなかったですしね。
田原: なるほど。そう言われて思いあたるのは、私が子供の頃、最初に見た川は渋谷川で、稲荷橋、まさに今我々がいる場所からの景色だったんですね。なのでここから上流は真っ暗な地下で、ああ、川って言うのはこう言うものなんだ、と思ったんです。なので地下を水が流れて来るのは自然なことだった。それと、小さい頃見た童話で、おもちゃの兵隊さんが川に落ちて、流れて行く先が暗渠になっている場面(アンデルセン童話「すずの兵隊」)があったんですが、それが丁度渋谷川の逆のパターンだと(笑)。川なんて言うのはこう言うものなんだ、と思ってましたね。
加瀬: 最初に見た川が渋谷川、しかも丁度暗渠から開渠になる稲荷橋、か。そりゃ確かに「蓋がけ」を疑問には思いませんね。
田原: 今でも、ここの「匂い」は変わらない。もちろん護岸とかは工事で変わっちゃってるけど、当時と同じ匂いですよ。
加瀬: へえ〜。そうか、それってまさに田原さんにとって「故郷」の景色であり匂いなんですね。僕は子供の頃ドライブで連れてって貰う「多摩川」が自分にとっての標準で、土の土手とか砂利の川辺で、しかもクネクネしてないと川じゃない。もっと言っちゃえば、綺麗じゃないと川だと認めない。だから、僕から見た渋谷川はあくまでも「水路」であって、決して川じゃなかった。
田原: 私は逆で、もちろん、地方の長閑な風景の中を流れるのも小川なんだけど、渋谷川みたいなものも同じように川である、と。ただ、かつてはこの川も地方の小川のように綺麗だった、とは子供の頃には考えませんでしたけどね。

加瀬: 戦争、関東大震災、大正から昭和初期にかけ、東京/渋谷には大きな変化が訪れます。特に敗戦後、僅か20年弱で訪れる国際社会への復帰イベント、東京オリンピックの開催地となった渋谷は代々木練兵場がワシントンハイツとなり、返還されて代々木競技場を建設、開催後は選手村跡地を代々木公園に。その間に、渋谷川下流を残し、渋谷の小川達は地上から一斉に姿を消します。ま、それはつまり小河川の「下水道幹線化」であるわけですが、これはつまり渋谷が新興住宅地のモデル・ケースとして扱われ、いわゆる「江戸」から見た郊外である渋谷がそのモデルとして選ばれたんだと思うんです。
田原: 渋谷は昭和初期まで、駅からちょっと離れればまだ小川が流れているような長閑なところだった。かと思えば渋谷川本流のように人工的水路のような改修工事が行われたりして、狭い地域の中で時間の流れ方が違って見えるところが非常に興味深い街なんです。そして今仰っていたように、外部から人が入って来ることによっても大きく変化する。そしてそれが短い時間軸の中で起こっていたんですね。
加瀬: それこそ多摩川方面にドライブに行くと、だんだん景色が長閑になって来て「ここから向こうは東京じゃないんだよ」とか言われると、ああ、東京は「都市」で、それ以外は「地方」なんだと(笑)。で、成人後に「春の小川」の舞台だと聞いても、まず納得が行かない。子供の頃に見た渋谷は、さほど今と変わらない。駅前の印象も、坂ばっかりの街並みも、東急本店も東横も西武A館B館も、代々木競技場も昔からあって、小川なんかないぞ、と。似合わないぞ、と(笑)。
春の小川生誕100周年。今47歳の僕がこの47年間渋谷は変わってないと断言する。では、その前の53年間に一体何が起きたのか、を狂ったように調べまくって、それでもやっぱり納得が行かないのが現実なんです。ちなみにその53年間のことを一番教えてくれたのが田原さんなんですけど(笑)。
田原: 渋谷って、デコボコじゃないですか。で、川って、必ず高いところから低いところへ流れる。もちろん、いきなり綺麗な小川を見て「よし、水洗トイレ作って汚水流そう」とは考えないわけで、初めは各家庭で出る、僅かな量の汚水が小川に流れ込んで行く、と言う程度のものだった。洗剤なんか使っていないし、ほとんど油も流さない。ところが、だんだんと人が増えて来た。当然流す水の量も増えるし、加えて人々の生活スタイルが変わって来る。
加瀬: 徐々に「欧米化」して来るんですよね。
田原: しかも、そのペースが急激でなく緩やかなので、気づいた時には大変な状況になっている、と。「公害」なんて言うものは皆そう言うものかもしれない。
それと、水そのもの。昔は井戸水を大切に使っていた。使うのも捨てるのも。それが、蛇口をひねればいくらでも出て来るようになった。渋谷は大正時代から水道が敷設されているんですが、これによって汚水がさらに急増し、結果的に小河川が「ドブ川」になってしまった。渋谷は大正時代から水道化してるんですが、そう言うものはやっぱり記録には残らない。証拠を集めようと調べて行くと、小河川、つまり小川を「川」とは認識しておらず、いつの間にかドブ扱いなんですね。
加瀬: 色々な方にお話を伺って、特にご年配の方に聞くと必ずと言って良いほど「川って言うかドブだよ」って言われるんです。
田原: 特に「〜〜川」とか固有名詞が付いてる川ならまだしも、それこそ春の小川のモデルになった河骨川なんて誰も知らない。なので「ドブ」になってしまう。これはもう個人の意識の問題なんですね。行政的にも小さなドブに「川」と言う見方はない。
そして東京オリンピック。開催まで全然時間がない中で、行政は全てのものを間に合わせようと必死になります。
加瀬: その間に合わせ方ったら凄いですよね!。新幹線も高速道路もモノレールも、全てが開催日数日前にギリギリ間に合った、くらいですからね。
田原: あの行動力は本当に凄かった。そして、下水の問題をどうするか、と言う時に、渋谷のドブ川達は非常に便利で、しかも景観や匂いの問題もありましたから、まさに一石二鳥になるわけです。なにしろ土地の取得や掘ったりする労力も必要ないんですから。もっとも渋谷の場合、ドブ川になるのは早かったから、下水道化は早くから予定化されていたんですけどね。
加瀬: そう言えば、昨年ラジオ番組で山田五郎さんとご一緒させて頂いたんですが、昭和の漫画/アニメは何で空き地に土管が転がってるのかと言うと、皆下水道に埋めるためだって仰ってましたね。同時に、とにかく渋谷の川は汚くて臭くて、暗渠化することを誰も反対していなかった、と。
田原: もちろん、綺麗な小川に急に蓋をしようとしたら「何でそんなことを」と誰かが思うんでしょうけど、だんだんと変化して来てしまったせいで誰も不思議に思わない。ああ、これでようやく汚い川に蓋がされて、下水道が整備される、もしそこで年配の誰かが一瞬でも「でも、いつの間にこの川はこんなに汚れてしまったんだろう。昔は良く遊んだのにな」と考えたとしたら…ね。
加瀬: それがきっと震災や空襲などの大きな災害とその復興による「仕方がない」なのかも知れませんね。

加瀬: 2012年、唱歌"春の小川"(高野辰之/岡野貞一作、1912年発表)生誕100周年です。まず春の小川の「今後」。土管のあった空き地でジャイアンとのび太やド根性ガエルのヒロシとゴリライモが決闘してから半世紀が経とうとしている。東京オリンピックを目標に大慌てで行った暗渠化ですが、当時のまま、と言う状況の中、その耐久性/安全性が問われてもいます。
田原: 東京の下水道管が古くて危ない、と言うのは実際に言われています。これは下水道局の方がちゃんと考えてるとは思うんですが、あまりにも古いものに関しては資料が残っていないようです。ただ、我々の知らないところで下水道局の方々が「縁の下の力持ち」として、非常に努力されていることは知っていて欲しいですね。
加瀬: 東京オリンピック当時に遊歩道や生活道路として暗渠化され、そして老朽化した今、本当にその道の下に川が流れていることを知らない人がたくさんいらっしゃるんですね。で、その事実を知ると、再び蓋を開けて景観を取り戻すべき、と言う意見が出て来ます。で、我々ふたりに共通しているのが「今更蓋を開けることに意味はない」。
田原: 少なくとも、川跡は、かつてはこうであった、と言う歴史を教えてくれるもの、広い意味での「文化財」と言っても良いと思うんです。ここに川があった、と言うことを知ることによって、地域への愛着と言うか、より深く知ることによって本当の意味での愛着になるのではないか、と思います。ああ、昔はこんな川があったのか。でも何故、今はないんだろう、と考えること。それが大切なのであって、「復活」と言ってもそれは新たな人工の川でしかない。なのでそれぞれがかつての姿を認識した上で、今を暮らして欲しいですね。
加瀬: 韓国で、一旦都市化で潰してしまった川をまた元に戻したところがあるんですよね。もの凄い行動力だな、と思うんですけど、暗渠化した時に死んだ命はそれでは蘇らない。ただそれが「もう繰り返さない」と言うメッセージのモデル・ケースであるならば凄いプロジェクトだと思う。でも、仮にそれを"春の小川"でやるとなると、なんかピンと来ない。
田原: 川はひとつの川単体で成り立つものではなく、人々の生活圏の中で存在するものですから、良い面だけを取り上げても違うんですね。
加瀬: "春の小川"も、決して美しい姿だけではなく、地形的に水害の多かった渋谷を象徴するような川だったかも知れないですしね。
田原: 自分にとって"春の小川"と言うのは、ひとつの「都市河川の象徴」なんです。まさに日本の都市部における、川の変化のあり方を教えてくれる典型的なものであり、キーワードなんですね。だから川を考える時に好んで使っているんです。
加瀬: 記念碑の建っている河骨川は、あくまでも"春の小川"の象徴でしかなくて、同じような運命を辿った川は他にもたくさんある。
田原: 私の場合、歴史的な経緯については、渋谷のことにしか詳しくないんですが、ただこれは他の色々な川にも当てはまることであり、そこではまた違った状況を見せているかも知れない。渋谷の"春の小川"と同じ部分、違う部分、それぞれ色んな個性を持っていると思うんです。ひとつひとつの川を見ることで、より「川」と言うものへの理解が深まって行くと思うんですよ。それでまた、地域の川への理解が深まって行く。それで良いと思うんです。
加瀬: 僕のサイトへの意見で「子供の頃の謎がだんだん解けていくような感覚」と言うのがあったんですよ。意外に共感してる人達がいるんだなって。
田原: 中学生の頃のモヤモヤした気持ち、まるでパズルのピースが上手くハマった時のような感覚って言うんですかね。あれはひとつの「快感」ですね(笑)。
加瀬: そう言う意味じゃ、白根記念渋谷区郷土博物館
・文学館での「春の小川」の流れた街・渋谷-川が映し出す地域史-('08年)は衝撃だった!。丁度僕達はTV番組"熱中時間"のロケをやってて、もうそろそろ佳境に入った頃、マネージャーが「こんなのやってます!」って僕と番組担当ディレクターにメールして来て、急いでロケ日増やしたんですよ(笑)。
あの特別展がなかったら、絶対あの番組は違う方向で進んでた。少なくとも後半の進行はアレでずいぶん変わりました。
田原: 凄い偶然でしたよね!。その頃って、暗渠そのものを取り上げるとか、そんなことやってる人滅多にいないけど、本当に良いのかな?、とか思ってました。で、ああ。少なくともここに共感してくれる人がひとりはいるんだ、と思って嬉しかったですね(笑)。
加瀬: 基本的に孤独ですもんね!(笑)。
田原: 展示も、恐らく普通の方にはマニアック過ぎてて、本当にこれにハマる人いるのかな、と思ってたらまんまとハマってくれたんです(笑)。思った通りの反応を示して頂いて(爆笑)。
加瀬: でも、最初はご年配の方々がノスタルジー、と言う捕らえ方で来てらっしゃったのが、番組放送後に若い人が増えましたよね。
田原: そうなんです。懐かしさとも違うし、リアルタイムでない人達が来てくれたのが嬉しかった。やっぱり皆同じこと考えてたんだな、と。そう言う意味でも、あの展示会をやったのは良かったと思っています。
加瀬: 僕にとって、渋谷の"春の小川"伝説、みたいなものの「答」があの展示会でしたね。で、あの時のガイドブックは我が家の家宝です、と(笑)。
田原: 深く調べる、って実は凄く難しいことなんですけど、こうして身近なものをテーマに掘り下げて、そして発表出来たのは本当にありがたいことだと思っています。これを機に、川を通して地域、と言うものを見つめ直してみて欲しいですね。
加瀬: "春の小川"から100年。たったの100年なんです。一体"春の小川"って何だったのか、きちんと考えるには良い機会だと思いますね。

 
 対談場所/カフェ・ミヤマ渋谷東口駅前店
(渋谷川・稲荷橋・右岸地下)
tel : 03-3498-1324

田原光泰
1969年、東京都渋谷区生まれ。2011年、中学生の頃から調べ歩いた渋谷川と、そこからみた都市河川の歴史を描いた『「春の小川」はなぜ消えたか』(之潮)を刊行する。   
   「春の小川」はなぜ消えたか
渋谷川にみる都市河川の歴史
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