第七章・"渋谷・朝霧ヶ瀧伝説"
第七章・第八節/伝説検証

円山町にあった円証寺と困頁山。そこで叶わぬ恋に悩んだ朝霧は困頁山の反対側/神泉谷へと落ちる滝に身を投げた。現在よりも5mは確実に高かった困頁山から眼下の神泉谷へはおそらく15〜20mの落差があっただろう。そして恐らくそこは"滝"と呼べるほどの流れはなく、困頁山の岩清水が崖下の神泉谷へと落ちる程度のもので、だからこそこの一件で"朝霧ヶ瀧"という名が付いたものと考えられる。そうでなければ別の名が存在した筈であり、そこを"滝"とするか極めて微妙な環境だったのだろう。
朝霧ヶ瀧伝説当時の道玄坂上・予想断面図。明治の砲兵隊事故による道玄坂上の5m掘削により削り取られた部分を因頁山と仮定すると、西側の神泉谷への落差は相当なものとなり、もしも因頁山に湧き水による小流があったのだとしたら"滝壺"という概念が成り立つ
no river, no life第一章・第五節で紹介した今はなき"神泉の池"は、恐らく朝霧ヶ瀧の小さな流れをも合わせた池だったのだろう。そしてそれは更なる谷底へと向って宇田川となり、後年三田用水からの分水を合わせて渋谷川へと落ちた。
京王井の頭線のトンネル上から見た神泉駅。宅地化にもひと苦労したであろう急激な谷地形である。また、井の頭線は渋谷駅から道玄坂/困頁山の下を潜って神泉駅に到着する、と言える
神泉の地形はまさに"崖"のそれである。道1本隔てれば段差が変わり、緩やかな坂ではすまないために多くの階段が存在する
no river, no life第一章・第五節で紹介している神泉町7番地、江戸期の地図に池が描かれている付近。そこが長期に渡って駐車場となっているのは不動産的な問題なのか、それとも地盤の問題なのか不明
....."江戸時代"に既に伝説となっていた朝霧ヶ瀧伝説。
誕生の地・桜丘は滝坂道を挟んだ道玄坂の向い。南平台と共にその眼下に鶯の鳴く鴬谷を眺め、江戸期の重要な役割を担った用水達の跡、古代の人々の暮らしを見せてくれた猿楽/鉢山、そして幕末から明治へと移り変わる風景を今に残す西郷山と、その眼下の目黒川を形成した駒場野の小川・空川。
渋谷の南側にはこうして現在でも歴史的な意味合いを持つ"証し"が多く残されている。が、その中で"伝説"という括りで語られるものを検証するのは決して容易ではなく、そこに発掘調査なり考古学的な証しがなければ何も結論づけられはしない。そこにあるのは推測に値する地域の名称と、それにまつわる現存の資料、そして地理的関係性のみである。
困頁山の存在を軸に旧山手通りを歩き回り、江戸期に三田上水が"平坦な流路を選んだ"ことと、その高さに残る猿楽の古代人の住居跡、そして西郷山を挟んだ目黒川の谷、そしてその先にある槍ヶ崎の地形などから、南側に行けば行くほど地形は平坦/もしくは低くなって行くことが解った。
オリンピック・ベイビーのオレが暮らした渋谷は、町名、景観、そして道筋ひとつひとつに至るまで"不変"である。それは戦後の高度経済成長で行政が急いで造り上げた1964年(昭和39年)当時の渋谷の姿のままであり、そこに商人と若者のセンスが加わったのが現在の姿。つまり、渋谷はこの45年間さほどの進化を遂げていない、とも言える。
そして、既に存在しない円証寺や困頁山といった名称を頼りに、あるひとつの伝説の検証に乗り出した。当然「正解は〜〜です」なんてものはなく、従ってここでオレが導き出した答も全く効力を持たない。
オレはきっと、ただ朝霧と撫子に逢いたかっただけなんだろう。これで逢えたのかどうかは解んないけど、同じ渋谷人として、生まれ故郷の伝説に興味を持つのは当然かも知れない。問題は、その答が何処にもないこと。で、なければ考え、自説を持つのがオレのスタイル。よって、このコンテンツは渋谷・朝霧ヶ瀧伝説"加瀬竜哉論"としてここに記す。
朝霧ヶ瀧伝説・加瀬竜哉論

今から数百年前、現在の渋谷区円山町6番地にあった円証寺の小坊主・朝霧は、ある春の日にここを訪れた渋谷長者・宗順の娘・撫子に一目惚れした。しかし身分の違いから思うように恋は実らず、撫子の父・宗順の逆鱗に降れ、現在の道玄坂上を頂上とする困頁山から神泉谷へと落ちる豊かな沢伝いの滝壷へと落とされ、"始末"された。
後に円証寺住職が朝霧の運命を嘆き、寺の裏山である困頁山から落ちる沢を"朝霧ヶ瀧"と名付け、代々伝えた。寺が荒廃した後、江戸期に入ってから円証寺のあった場所には地元の人々の手により豊沢地蔵尊が建てられた。
.....なあ朝霧。オマエはここで、どんな想いで最期を迎えたんだ?。自分の運命を呪ったか、それとも相手を恨んだか.....あれから何百年経ったのか解らないけど、既に渋谷にはオマエの痕跡はない。だけど、こうして辿って行けばオマエが最期を迎えた地はオレの誕生の地と眼と鼻の先で、しかもそこはオレが暮らして来た川とやっぱり繋がっていて、時代は違えども同じ渋谷に生きた仲間だ。
そして、実は離婚して離れたオレの父親の性は"滝"なんだ。だから放っとけなかったのかも知れないね。そこが後世の"滝坂道"ってのも、なんだか偶然にしちゃ出来過ぎてる。だから夢にまで出て来たんじゃないかな。

なあ朝霧、また夢に出て来て、今度は撫子がどんなにイイ女だったのか教えてくれよ!。
取材協力:白根記念渋谷区郷土博物館・文学館
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