.....というワケで早速壁にブチ当たったオレの次の行動は.....ムフフ。コレはもう必殺技。オレ、その話を何処で知ったのかっつーと、白根記念渋谷区郷土博物館。ってことは、な〜んだ、学芸員のT原ちゃんに聞けばイイんだ!。初めからそうすりゃ良かった。ねえねえ、コレって何処なの?
「.....解らないんですよ」
「.....。」
ま、この人はオレが知る限り相当な"慎重派"である。それもその筈、何しろ確たる確証がない限り、この立場の人間がうかつなこと言っちゃダメだし、またそういうしっかりとした人物だからこそ、そのポジションにいらっしゃるワケで、オレみたいに何の確証もないまま熱意だけで突っ走ったりする.....こともあるかも知んないけど、少なくとも憶測では発言しない。その彼が言うんだから、こりゃホントに解らないんだろう。
「本当に"江戸砂子"に書いてあることが全てで、多分今の円山町あたりじゃないか、ってことしか解らない。何しろ、江戸時代には既に伝説だった話、ってことですから.....」
江戸時代に既に伝説?.....そりゃ一体いつ頃なんだろう。
そもそも江戸時代とは1603年(慶長8年)から1868年(明治元年)までの"徳川政権"下にある265年間のことである。従って織田信長だの豊臣秀吉だのはそれ以前の安土桃山時代となり、更に遡れば戦国時代や鎌倉/平安時代。つまり、江戸時代ってのは今から142〜407年前の間、ということになる。う〜ん、なんか現代人は明治以前の"丁髷時代"をまとめて江戸時代って括ってる悪いクセがあるな.....。
で、この朝霧ヶ瀧伝説は「江戸時代には既に伝説だった」という但しが付いてる。つまり、どう見積もっても500年以上は前、ということになる。う〜ん、ナルホド.....。
「.....ホントは知ってんじゃないの?」
「知りませんってば!」
とりあえず優しいT原氏、買うなんて恐ろしくて出来そうもない金額の"江戸砂子"を見せてくれた。おお、書いてある書いてある。 |
江戸砂子
・朝霧が滝
渋谷。むかし此里に渋谷宗順と云長者あり。撫子姫といふむすめをもてり。容貌すぐれたり。春のころ円證寺のさくらを詠むとて父母いざなふ。かの寺に朝霧と云了髻(かむろ)あり。姫を見て恋そめしに、おもひとげず、此滝つぼに身をしてたりと云。 |
ふ〜ん、円証寺は"円證寺"と書くのが正しいのか。とりあえずググると.....奈良に同じ名前のお寺があるな。創建は.....寛平年間、890年頃!?.....じゃあ千年以上前ってことか。金沢(石川県)にもあるみたいだけど、何か関係あるのかな。んで、続いて白根のパネルにはなかった、こんな記述も。 |
・困頁(かむろ)山
右かたはらに小高き岡あり。困頁山と云。これかふろ塚也。そのひがしのかたに円證寺の旧跡あり。 |
かむろ山、かむろ塚.....寺はその東方向.....うん、こりゃ多少ヒントになるかも知れない。ま、案ずるより産むが易し、急がば回れ、とにかく行ってみよう。ヘタすりゃ千年以上前の、もちろん誰も知らない伝説の場所、朝霧ヶ瀧。こりゃ渋谷人として探さなきゃ、朝霧と撫子に申し訳ない(.....)。 |