2008/11/15 up

10月某日@渋谷川暗渠
ロケ9日目、最終日。
.....正直、初めはせいぜい3〜4日で撮り終わると思っていた。いや、M川プロデューサーもS水ディレクターもそう思ってただろう。それが気付けば9日目、渋谷と杉並を徒歩でウロウロしてるだけとは思えない日数。だが、これは決して段取りが悪かったわけでも手違いがあったわけでもなく、行動を共にした番組スタッフがオレの想いと真意に気付き、NHKまでもがその方向性と問題の大きさを理解/支持してくれたからこそであり、同時に白根郷土博物館での"春の小川が流れた街・渋谷特別展"のタイミングの良い開催、そこでのT原氏との出逢いなど、偶然見つけたマネPの功績も含め、出演オファー/放送日時(東京オリンピック開催日程)などが本当の意味でドキュメンタリー番組として成立する後押しになったように思う。
正午過ぎ、渋谷駅南口に集合。オレは一足先に一旦金王橋まで行き、大きく黒い口を開ける暗渠入り口に、挨拶だけ済ませて来た。
暗渠内へ潜入するメンツはオレ、マネP、S水ディレクター、カメラのK平氏、音声のF村氏、そしてアシスタントとして急遽呼ばれたX氏。
まず、国道246号線沿い、既にS水氏が撮影許可を取ってあると言う大きな釣具店へ.....ナ〜ルホド、ここなら長靴選び放題だ。.....きっと、他のお客さん達からはこれから金髪のニイチャン
が釣りをしに行く撮影なんだろうと思われてた筈。
まあ、好きなものを選んで良いワケだが、せっかくなので同じデザインのサイズ違いで間違いなくロケの人数分揃うヤツをチョイス。棚に並んでた同デザインの青い長靴、一斉に品切れ!。
購入した長靴を持ってロケ車を止めた駐車場へ行き、ここで着替え。.....と言うか、中は変わらないけど、今回は外側が重装備。
まず、マネPが実家から持って来た頭に装着するライト(なんでそんなモン持ってんだか.....)、密閉式のマスク、フード付き/膝下までのレイン・コート、洗剤使用時に使うようなビニール製の手袋、そして買ったばかりの青い長靴。
.....ひとことで言うなら"洞窟探検隊"。
当然帽子からサングラス、下着やジーンズに至るまで着替えも持参、暗渠内から地上に戻って来て風呂に入った後は、何ひとつ暗渠内で使用したものは身につけていない、という計画。
「いやー、最高っすよ」
.....ま、おおいに笑える姿なのは承知の上、これがオレに出来る唯一のTV用サービス(笑)。
「じゃ、その姿で稲荷橋に向かって歩いて行って下さい」
246から歩道橋を渡って渋谷駅西口へ(通らなくても行けるのに.....)、そこから人混みをかき分け.....いや、勝手に道が出来て行く。例えるなら....."モーゼの十戒"状態(爆)。
そりゃ、過去にP.V.撮影でギター弾きながら公園通り歩いたりとか、色々やったさ。で、曲は流れてるしカメラマンいるから周りの皆さんもP.V.の撮影中だって解る。

街中/それも渋谷をこの格好.....市中引き回しの刑?
.....ところが、スタッフ全員歩道橋の反対側まで行っちゃうワケ。で、cueが出るまでオレひとりで待ちなワケ。.....金髪/グラサンが洞窟探検隊の格好で(哀)。歩き始めれば歩き始めるで、すれ違う人がモノ凄い顔で見て避けるワケ。S水さんって、ドS?(爆)。
.....さすがにこんなのは初体験。ま、通報されなくて良かった.....。

いよいよ潜入直前、全員に緊張が走る
一行、稲荷橋に到着。
「加瀬さんはno river, no lifeの写真の時、どうやって降りたんですか?」
「アレ」
コンクリート護岸の最上部から下まで、実は昇り降り用の小さな手すり/足掛けがある。もちろん何カ所かにあるので、大きく口を開ける暗渠内に入るロケーションのため、ひとつ先の金王橋から降りることに。まずオレが降りる。
.....懐かしい景色、懐かしい感覚。2年振りの渋谷川だ。
「くれぐれも気をつけて」
スタッフは重い荷物を持って降りなければならず、一歩踏み外せば下は水がないに等しいコンクリート。
特にマネPが心配.....いや、コイツ一番身軽に降りて来た(爆)。
「さあ、いよいよですね」
「.....はい」
気を引き締める。決して誰でも入れる所じゃない。そして、誰でも知ることが出来るものじゃない"現実"、その中へオレは、選ばれて入る。責任重大、そして少しの恐怖感と、少しの期待感。
「行きましょう、春の小川へ」
13時30分、稲荷橋下から渋谷川暗渠部へ潜入開始。


ライトに照らし出される暗渠内はまるで廃墟
.....畠山直哉氏の"Underground"と同じだ。
中は暗く、ライトなしでは到底歩けない。天井は妙に高く、洞窟に似た水滴の音と、外/渋谷の街の雑踏とが入り交じった、不思議な響き方をする。
「お〜い」
声を出してみる。壁にはね返って来るというよりも、奥に吸い込まれて行く感じ。音響的に言うとdeadよりはlive寄りだが、響きはややこもった感じ。
しばらくは足元を70cmほどの高さのコンクリート・バーが縦に分断する。これは昭和36年から始まった暗渠化工事の際、
流れをコントロールするために造られたもの。もちろん生で見るのは初めて。
足元を見る。暗渠内部中央の水深は約10cmほど、両岸は高くなっているために水はない。敢えて中央を進む。弱くはあるが、確かに上流から流れて来ている。予想していたよりも、全然濁ってない。むしろ透き通った水が、これも"Underground"で見たのと同じ、不思議な色に輝く川底の上をユラユラと流れている。

初めて眼にする暗渠蓋の構造
天井を照らす。暗渠の蓋を、下から見るのは初めて。等間隔に並んだコンクリート・バー、その上にブ厚そうな蓋がかけられ、更に上に道路が造られているのだろう。やや右に曲がりくねりながら、これが延々と続いている。
両脇の壁を見比べる。時折、正方形のゴム製のカーテンが存在する。開いて覗くと、斜めに流路を設けた合流や排水溝であることが解る。.....ショックなことがあった。こんな場所にまで、スプレーによる落書きが進出している。確かに、懐中電灯を持ってスニーカーで来れない場所ではないのかも知れない。が、この行為を正当化することなど、到底出来るわけがない。
そして、両脇に時々上から光が漏れている。「お〜い、誰か〜!」下から覗き込むと、それは地上の路肩にある排水溝のようだった。
.....1ヶ月前、オレはS水ディレクターからの「タバコをポイ捨てしたら、暗渠になった渋谷川に落ちるのか」というメールに、「それはない筈」と答えていた。そこが下水であれ河川暗渠であれ、水路に直接ゴミが落ちることはなく、清掃担当の方が地上の排水溝の蓋を開けて、ゴミや吸い殻を取り出す筈だと思っていた。
.....慌てて足元を照らす。そこには、無数の吸い殻が落ちていた。

光の先には木々も見える
間違いなく、この暗渠の上、つまり渋谷の街中で誰かが捨てたり排水溝に蹴りこんだ吸い殻が、渋谷川暗渠に直接落ちている。
ショックだった。例えば多摩川や神田川などは、開渠である故に高度経済成長〜バブル時に徹底的に汚れ、その後の「川をキレイに」というメッセージと人々の努力/意識の持ち方によって、再び魚が住める環境にまで復活した。
が、こうして暗渠化された河川は、眼に見えない。存在を知られていないが故に、今でもこうして汚染され続けていたのだ。
.....オレは滅多なことでは直接メッセージを発しない。何故なら、そんなことはひとりひとりが考えて行動するべきだからだ。だがこの機会
に、「ここならいいだろう」と思って排水溝に吸い殻やゴミを捨てている人に報告だけはしておく。

貴方の捨てたそのゴミは、春の小川を汚している。

on airでは「春の小川にタバコを捨てないで」というオレの言葉が流れたが、本当は見つけた瞬間にオレの口から出た言葉は「誰だゴルアアア!」.....TV用に言い直した。
どれくらい進んだだろう。初めて後を振り返る。もう稲荷橋の先、つまり外の光はとうに見えず、数m後方にいるスタッフだけがライトに浮かび上がった。大袈裟ではなく、しばらくスタッフの存在を忘れていた。

.....オレより重装備の青いのはマネP(笑)
「皆、大丈夫ですか」
全員サムアップ。.....実際のところ、マスク越しとは言え、思ったほど匂いはしない。むしろ、最初に渋谷川に降り立った瞬間に比べたら薄いくらい。
あらためて暗渠内を照らす。壁にはコウモリの糞が付着し、ライトを避けるように一斉に移動を始める"カマドウマ"の大群.....あんまり具体的過ぎてもなんなので割愛するが、進めば進むほどそれなりに"地下水路"らしい暗渠内部。が、マネPは小さな魚の群れを見たという。事実、"Underground"にも魚が写ったショットがあり、ここにはここなりの生態系が存在するのも納得出来る。
またしばらく進むと、暗渠工事の際の名残りなのか、それとも上方から落ちて来たのか、瓦礫のような一角が広がる。もう既に、どう曲がっていたか、真っすぐだったのか、解らなくなっている。
右手のゴム・カーテンを開き、覗き込む。うっすらと光が見えるが、流路が斜めに向かって来る形。
「あ、なんか流れて来た」
カーテンから手を離し、一歩下がった途端、結構な量の水が勢い良く暗渠内に注ぎ込まれた。
全員危機一髪で被らずに済んだ。.....それにしてもカメラのK平さんはさすがプロだ。ビクともせずにその一部始終を撮り続けていた。対照的だったのはS水氏、モノ凄いスピードで避難(笑)。
「今の、何だったんですかね?」
「.....きっと、TVの神様がくれた水じゃないかな(爆笑)」
事実、特に匂いもせず、汚れた感じもなかったので、少なくともトイレなどの排水ではないことは確か。が、これが何の水だったかは今も謎。
左手に、赤いレンガのような固まりを見つける。.....が、良く観ればこれはレンガではなく、コンクリートの固まりの上にレンガ風のタイルを貼付けたもので、所々タイルが剥がれ落ちていた。少なくとも、44年以上前に地上から見えたデザインであることは間違いがない。

ここは宮益坂下交差点、つまりスクランブル交差点のすぐ脇となる
突然、ライトに前方を仕切る巨大なゴムカーテンが浮かび上がった。
結界だ。
今、オレ達は宮益橋、つまりスクランブル交差点からJRのガードを潜り、東急東横店東館を過ぎたあたりにいる。稲荷橋からの距離は約160m。
手前に見えた赤レンガ風の残骸は宮益橋だ。天井を照らす。確かに橋の造形。裏側から.....もクソもなく、初めて見る宮益橋の姿。
.....実は、ここまでが役所の管理下にある"河川"で、ここから先(上流)は下水道局の管轄となり、入ることは出来ない。カーテンを開け、奥を照らす。
.....そこには、西武デパートA館とB館の間を通り、宮下公園下で渋谷川に注ぐ宇田川の合流口があった。

写真と情報でしか知らなかった、でも確かな事実。今から96年前、高野辰之先生が娘の弘子さんと散歩しながら見た風景を歌にした"春の小川"、その川の名は河骨川、オレが8歳から28歳まで暮らした代々木の家の側。その川は宇田川へと注ぎ、途中にはオレの生家。そしてオレが通った幼稚園の脇を流れて来た隠田川と交わり、今オレの立っているこの流れが出来上がる。
-オレは今、春の小川にいるんだ-
言葉なんか、出るわけがない。
涙を、止められるわけがない。
小さな谷底で懸命に生き抜いて来た小さな川、それを人々が敗戦のドン底から立ち上がるために、犠牲になって支え続ける、愛すべき川達。
初台川の一滴も、松濤公園の池の水も、こうして実際に蓋の下で繋がっていた。
「ありがとう」と「ごめんね」を言い、オレは自分に課せられた大切な仕事に戻る。
ここで"春の小川"を歌う。
.....音楽という分野の中で、いったい自分に何が出来るのか/何がしたいのか、を追い求め、歌うこと以外のあらゆるパーツを拾い、40歳になった時、ようやく"歌う"ことから逃げて来た自分と対峙した。そして41歳の時、自分の生まれ育った場所が春の小川であり、今も地下にあることを知った。初めてこの曲を歌ったのは2年前の夏、以来、1コーラス目に現在の歌詞(3代目)、2コーラス目にオリジナルの歌詞を歌うスタイルは変わっていない。そして、オーディエンスにオレが知った"春の小川の真実"を話し、伝えて来た。
この番組の話があるまで、オレ自身"暗渠となった春の小川で春の小川を歌う"というイメージは全くなかった。むしろ、河骨川暗渠の上でブツブツとひとりごとのように鼻歌を歌いながら運命を呪い、「小川の岸辺で歌いたかったな」と思うことばかりだった。
今は違う。
オレが、オレ自身が、春の小川に春の小川を聴かせたい。
こんなにも素晴らしい歌が今でも子供達に歌い継がれていること、そしてそれを今度は"教訓"として、二度と同じようなことを繰り返さないようにしなくてはならないこと。
オリンピック・ベイビーは蓋しか知らない。が、これは前の世代の責任とかいう話ではない。たった96年間の、"オレ達現代人"の責任。その代表として、そしてオリンピック・ベイビーとして、オレが感謝を込めて歌う。

届け!。
.....歌い終わって、本当に正直な気持ち、オレは嬉しくて仕方がなかった。もう匂いとか暗さとかカマドウマとか、そんなことどうでも良くなっていた。だって、逢えないと思っていた春の小川に逢えて、そこ"で春の小川"を歌えたんだから!。
更に、思わぬ教訓もあった。
オレは音楽プロデューサー/ディレクターとして、レコーディング中に歌い手に「歌いたいこと/伝えたいことがないんだったら帰っていいぞ!」なんて言い続けて来た。それは正論だが、実際に自分が歌い始めた時、それはとても難しいことに感じた。感情表現、その本来ナチュラルであるべき要素が、メロディやピッチ、リズムなどの音楽的拘束事項に当てはめられた時、オレは楽器をplayするよりも遥かに難しいことに感じてしまった。その答を教えてくれたのが実は"春の小川"という歌。
現代の歌詞とオリジナルの歌詞を歌うことで、眼の前のオーディエンスに何か伝えようとする気持ち、それを初めて体感出来たのだ。.....そういうワケだから、これからオレの歌のディレクションはもっともっとキビシくなるよ、歌い手の皆さん!(笑)。
もうひとつは、ずっと歌うことから逃げて来たオレが、歌い手として誰もやらなかったことを初めて行う、という栄誉とプレッシャー。偉そうに"パイオニア"などと言うつもりはないけど、暗渠内で"春の小川"を歌う、という特殊で、そして光栄な役割を、それも全国放送で仰せつかったのはオレの誇りでもある。.....あ、そう言やコレでオレは全国ネットで歌手デビューしちゃったことになるのか(爆)。

S水氏と一緒に川遊び!
更にここで、もうひとつ初体験。それは"川遊び"。
S水ディレクターと一緒に、バチャバチャと水しぶきをあげて走る。.....挙足取るなよ。ここまでは行政上"河川"なんだから、確かに川遊びなんだ!。変人扱い、バカ呼ばわり結構。オレは本当に楽しかったんだ!。S水さん、ありがとう!。
.....今来た道、いや川を、また戻って行く。いったい、何度振り返ったか解らない。未練がましく、何度も立ち止まって手を振りながら、オレは稲荷橋へと戻った。暗渠内に対する恐怖心なんぞ何処へやら、見送る田舎のお祖父ちゃんに手を振る夏休みの子供のようだったと思う。
だってそこは、オレの故郷・春の小川なんだから。

外の光はやたら眩しかった。そして、そこにはオレの知ってる東京・渋谷があった。
戦後の焼け野原から頑張って復興し、高度経済成長を経て、活気と最新のファッションで溢れる街、渋谷。タイム・トラベルからの帰還のように、自然と微笑むことが出来た。
稲荷橋の上から、ひとりのガイジンが怪訝そうな顔でこっちを見ていた。オレは満面の笑顔でピース・サインを送った。.....彼はそそくさと立ち去って行った.....自分の格好を忘れてた(.....)。

並木橋の"さかえ湯"
これにてロケアップ!。全員でハグ.....と行きたいところだが、まず風呂だ!。歩いて7〜8分ほどの並木橋にある銭湯へ。当然マネPは女湯だが、真夏日の暗渠ロケから一緒に歩んで来たスタッフの皆と入る銭湯はヒジョ〜に楽しかった。あ、もちろんキューちゃんも一緒です(.....)。


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