元ティレルのデザイナーで、革新的な6輪車であるP34を設計したデレック・ガードナーが死去した。79歳だった。
元々トランスミッションを専門に扱っていたガードナーは1969年にマトラF1チームに加わり、翌年ケン・ティレルと共にティレル・チームを興した。ガードナー初のF1マシンとなったティレル001はジャッキー・スチュワートの手でシェイク・ダウンされ、1973年にのティレル003はスチュワート/フランソワ・セヴェールによりダブル・タイトルを獲得した。1976年の6輪車ティレルP34はレーシング・カーの歴史に残るマシンとなったが、このプロジェクトを最後にガードナーはF1を去り、クラッチ・メーカーのボルグワーナーの研究者として働いていた。
ガードナーが最初にF1に見切りを付けようと考えたのは1973年、彼の設計したティレル006でセヴェールが最終戦で事故死した時だった。エース・ドライバーのスチュワートはこれを機に引退、ガードナー自身も進退を考えた。しかしケン・ティレルと共にチーム復興に務める道を選んだガードナーは誰も思いつかないアイデアを実現、多くのマスコミや自チームのドライバーにさえも嘲笑されながらも史上初の6輪車P34を開発/熟成、1976年スウェーデンGPで勝利してみせた。しかし翌1977年にP34の発展型の開発に失敗し、ここでガードナーはF1に見切りを付けた。
F1に革新的なアイデアを導入したひとりの天才が逝った。冥福を祈る。